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2021/08/09

胡瓜の馬は、走らない

蜂賀 三月
※このエピソードは、霊園ガイドサイトで募集した「お墓のエピソード」の2021年度8月度作品です
(出典→....>外部リンクへ)。

胡瓜の馬は、走らない

 お墓参りは不要不急なのだろうか。

 先日、亡くなった父親についてエッセイを書いた

 このエッセイを書くことで、私は父が合葬されているお寺に行く決心がついた。遠くなった縁をひとつひとつ辿って、お寺の場所を聞き、県外にあるお寺に向かうことにしたのだ。

 6月21日、うだるような暑い日だった。

 車で目的地に向かっている時、色々なことが頭をよぎった。どのような経緯で共同墓地に入ったのかもわからない。もし、偶然にも、絶縁した母親と出くわすようなことがあったら……と、わからないことの多さと不安があって、暑さのせいだけじゃない汗が背中を這っていた。

 それでも「父に会いたい」という気持ちが勝った。会いにいけるという現実を、手放したくなかった。

 本当は下道で行くつもりだったけど、高速に乗った。設定したナビは目的地までの時間を数値化してくれて、なんだかドキドキする。

 お寺の近くまで行った時に、そういえば線香もロウソクも何も持ってきてないことに気付いた。我ながらマヌケだと思うのだが、お墓参りなど今までろくにしたことがなくって失念していたのだ。ダメ元で近くのローソンに入ると、なんとお墓参りセットが売っていた。小さいロウソクと線香のセット、それとライターを買ってお寺に向かった。

 お寺の合祀墓は立派なものだった。永代供養されている方の名前は墓の横に彫ってある。ひとつひとつ見ていくけれど、父の名前はなかった。ここに名前を刻むことができるのは、しっかりとした手順を踏んだ方だけなのだろう。本当に父親の骨はここにあるのかと、少し不安になった。

 お寺にも墓地にも、誰もいない。大きなお墓と、紫陽花が咲いているだけ。

 慣れない手付きでロウソクと線香に火を点けた。手を合わせ、父と対話をすることにした。

 長い期間何もできなかったことを謝り、家を出たこと、これまでのことを話す。出てくるのは謝罪と感謝ばかりだった。陽射しが頭を焼くようにじりじりと照らしつけるのも気にならず、しばらくそうしていたと思う。振り返ると色々なことがあったけど、これからもしっかり生きていきたいと思った。

 そうしていると、背中に大きなものが乗っかってきた。びっくりして振り向くと、大きなゴールデンレトリバーだった。めちゃくちゃ笑顔の犬だ。

 その後ろには住職さんがいた。

 「良かったらお茶でも飲んでいかんか?」

 と声をかけてもらった。申し訳ないと思い一度断ったが、ゴールデンレトリバーがぐいぐいと引っ張るのでお言葉に甘えることになった。漫画にそのまま出てきそうな住職さんとゴールデンレトリバーだったと今でも思う。

 住職さんは冷たいお茶を出してくれた。誰のお墓参りかを聞いてくれたので、父の名前を言う。住職さんは、大きなファイルを出してきて、父の名前を見つけると「ああ……」と言った。

 「よく覚えてるよ。お母さまからの依頼で、こちらで合葬させてもらった。少し……いや事情があったんだね。最初に遺骨を持ってきて以来、一度も来られてはいないね。連絡もとれない。他の親族の方も誰も来ていないから、君が初めてだよ」

 この一言でだいたいどんなことがあったかは想像はできる。住職さんからの説明はないが、母は正規の手順を踏まず、お寺に遺骨を置いていったのだと思う。おそらく、この住職さんの善意だけで供養していただいてたんだろう。

 「長い間、大変ご迷惑をお掛けしました」

 恥ずかしい気持ちで深く頭を下げて謝罪する。住職さんは「いやいや、気にせんでええよ」と笑いながら話してくれた。

 「君だけでも時々、お父さんに会いにきたってな。お骨は…今はもう土に還してしまったけど、ここで供養させてもらってるのは間違いないから」

 その言葉を聞くと、視界が滲んだ。ここにちゃんと父はいるし、また会いに来てもいいんだと思えたからだと思う。

 お盆には合祀墓に眠る方のために読経をするらしく、その日程を教えてもらった。心ばかりのお礼をして、私はまた来ることを住職さんに伝えた。

 気分は晴れ晴れとしていた。わからなかった部分が住職さんと話すことでわかったからだと思う。

 帰る前に父の前にもう一度行った。今度は対話ではなく、祈った。

 父のこと、これからの自分のこと、それは心にやすらぎをくれるものだった。

 お寺に行く日をカレンダーに書く。少しずつ、その日は近付いていく。

 その間に、お墓のエピソードを投稿した霊園ガイド様から、恐縮ながら先日のエッセイをリンク掲載していただけることの連絡があったりした。

 ああ、このことも父に報告しようと、思っていた矢先だった。

 共同墓地がある地域に、まん延防止等重点措置等(医療体制非常事態)が要請された。

 不要不急の言葉を痛いと思ったことは、初めてだった。

 わかっている。この状況下において、行くことはできない。少なくとも、県を跨いで移動をすることは自粛せねばならない。生きている人のために、守らなければいけないことがある。

 お盆やお墓参りは、「不要」ではないと私は思う。だけど、色々なことを犠牲にして強行はできない。他人にこのことを強要するつもりはないけれど、私は自粛を選ぶことにした。

 お盆に飾るキュウリの馬は「先祖に早く帰ってきてほしい」という願いが込められているらしい。今年のキュウリの馬は、ゆっくりと歩いて迎えにいってほしいと思う。コロナが落ち着いて、私がまたあの場所に行った時に父がいてくれたらな、なんて、そんな想像をしてしまうのだ。

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