第二回

インターネットミームと石仏

内藤理恵子 

先人たちはどう考えていたか

 前回は(https://reien.top/article/religious-culture/2021-01/kosinto-1.html)庚申塔に興味が湧いた経緯をお話しました。調べたいことが決まったら、次は、先人たちの見解を知ることが大切です。そこで、庚申信仰についての先行研究を調べてみることにしました。メジャーな説は、前回の記事の立て看板にあったように、「庚申信仰=道教由来(奈良時代には庚申の意味は伝わっていたという説あり)」もしくは「仏教、道教、古神道由来」という説です。

(写真2)静岡県藤枝市の庚申塔(筆者撮影)

(写真1)神奈川県鎌倉市の庚申塔。庚申塔は庚申塚とも言います。(筆者撮影)
(写真1)神奈川県鎌倉市の庚申塔。庚申塔は庚申塚とも言います。(筆者撮影)

(写真1)神奈川県鎌倉市の庚申塔。庚申塔は庚申塚とも言います。(筆者撮影)

しかし、それに対して仏教民俗学者の五来重氏の見解は 「庚申信仰を中国道教の日本伝来とする従来の諸論に対して、 私は庚申は日本固有の祖霊祭(先祖祭祀)の一つの形態であることを、くどいように主張している」(五来重『石の宗教』)と述べています。 通説を覆し、庚申信仰を多面的に見ることを五来氏は強調するのです。 たしかに、仏教にせよ、神道の氏神信仰にせよ、日本の宗教は先祖祭祀と習合していますから、この視点は大切です。 しかし、庚申信仰の100%が先祖祭祀であるとは言い切れない気もするのです。 むしろ、日本の宗教や民俗のほとんどすべてに先祖祭祀がどこかで絡んでいて、それぞれにユニークな化学反応が見られる、といったほうが妥当だと思います。 その一つの事例として庚申信仰があり、先祖祭祀は中心軸ではないでしょう。ですから、「先祖祭祀」とは違うキーワードを使って庚申信仰の本質を突くことはできないか、と考えあぐねていたところ、思わぬ出合いがありました。石は不思議なものです。石に関して何か知りたいことができると、まるで向こうから石の妖怪が情報を背負って歩いてくるようなことが繰り返し起こるのです。

 

庚申懇話会発行の冊子「庚申」を手に入れる!

そんなわけで、庚申について調査に行き詰まりを感じていた私に新たな視点をもたらしてくれたのは、「庚申」という冊子(民間の庚申研究家の集いである庚申懇話会発行の冊子・ 写真3)のバックナンバーとの出合いでした。もともと市場に出回る類の資料ではないものです。 あるイベントの古書販売コーナーで風呂敷包みにして売られており、しかも非常に安価で購入できたという僥倖がありました。 それにより新たな視点が拓けたのです。

(写真3)「庚申」の表紙。バックナンバーを読み進めてみると、号が進むにつれて、「庚申の講を調査すべきか(人々の信仰が実際にいかに行われていたのか)」と「庚申塔に刻まれている情報をデータベースにするか」という方針の違いで、研究家同士の見解の相違が起きたことがわかりました。そして、月日が流れるうちに、庚申講の実態を知る証言者自体が減っていき、講の調査が難しくなっていく様子もわかりました。

(写真3)「庚申」の表紙。
(写真4)冊子「庚申 70号」の目次

(写真4)冊子「庚申 70号」の目次
 

しかし、そもそも「庚申懇話会」という会そのものが現在では消滅していることもあって、それがどのようなものか、資料としてどう扱っていいのか? という問題もありました。 これに関しては、のちに昭和55年発行の『石仏紀行』(暁教育図書)の「石仏研究のグループの紹介」のページに「庚申懇話会」の項目を見つけることができました。 そこには「埋もれゆく文化遺産の記録に努力し、庚申に関する塔、習俗、伝承を中心に研究することを目的に発足した会であり、すべての石仏の中での庚申塔の位置付けに力を注いでいる」という会の趣旨が書いてありました。また、考古学の分野において、学術的にも庚申懇話会発行の文献が先行研究として挙げられていることも確認しました。 そして、さまざまな庚申に関する文献を見ても、石の文化のユニークな面白さを庚申に見出しているのは、研究者よりも、「庚申懇話会」のような民間の研究家ではないか、ということも見えてきたのです。


たとえば「庚申」67号(昭和49年発行)に掲載された木村博氏の「作神としての庚申」には、 民間信仰について「簡単な理由から繁昌していることがある」との考察があります。 その具体的な理由として、木村氏が実際に新潟県の山村で以下のようなインタビューをしている記録が挙げられています。木村氏は「庚申さんが農家の神様なのか?」と村人に質問したときに、村の老人は「だって、庚申さんの時は『マイタリ、マイタリ』(蒔いたり)ってお詣りするから」と答えているのです。

すごく面白い話ですね! というのも、 庚申講の際にとなえる「庚申真言」=「マイタリヤ・ソワカ」の「マイタリ」は「マイトレーヤ(弥勒菩薩)」に由来しているのですが、この「マイタリ」が村人には、 「蒔いたり……つまりは種まきの神様なんだなぁ」という風に、一種の勘違いとして認知が広まった、という事実がここで明らかにされているのです。

つまり、誤って伝わった伝言ゲームのようなものが拡散されたこと、それが村の人々の信仰対象となること、それこそが石の文化のユニークさであり、そのようなことは実際に村の人々によくよく聞き取り調査をしてみないとわからないものなのです。

とはいえ、木村氏は「マイタリの聞き間違い」が全国の庚申信仰に適応できるかといえば、それはそうでもないだろうという見解を出しています。

しかし、このような「聞き間違い」「勘違い」を含めた「ズレ」こそが石の文化の面白さであるとも、私は思います。 その「ズレ」のバリエーションこそが石の文化を多様なものにしているとも言えるでしょう。庚申信仰に三猿が関係している(写真5)のも「虫が去る」の駄洒落なのか、「庚申」の「申」からきているのか、はたまた猿田彦大神との関連なのか、諸説ありますが、私はそのすべてが間違いではなく、上記のような「ズレ」こそが、多様な信仰を生んでいる結果だと思うのです。それこそが石の文化の豊穣さでしょう。


(写真5)神奈川県鎌倉市の庚申塔。青面金剛の足下にくっきりと三猿が見えます。 この庚申塔は、鎌倉大仏の近くにあります。鎌倉大仏にお参りの際には、ぜひ確認してみてください。(筆者撮影)
(写真5)神奈川県鎌倉市の庚申塔。(筆者撮影)

庚申の他にも、「ズレ」はおもしろい信仰を生んでいます。如意輪観音の思惟手(右手を頬にあてるポーズ)が虫歯で悩むポーズに似ている(写真6)ということもあり、地方によっては如意輪観音の石仏は「虫歯を治してくれる」という信仰につながっていたりもします。


(写真6)静岡県藤枝市の如意輪観音の石仏。たしかに虫歯を押さえているように見えます。(筆者撮影)
(写真5)神奈川県鎌倉市の庚申塔。(筆者撮影)

石仏=ミームカルチャーに似ている?

こうした石仏の伝言ゲームのような要素は、「ミーム」の概念に似ていると思います。ミームとは、もともとはリチャード・ドーキンスが70年代に提唱した文化の遺伝子のことです。 現在では種々様々にミームの定義が細分化されていますが、石仏は、それらの中でも特に「インターネット上のミーム」と性質が似ていると思います。 インターネットミームは主に、イメージとテキストの「ネタ画像」のことを指します。誰かの思いつきがネタとなり、それが模倣とアレンジを繰り返しながら拡散されるのです。 アドリブの妙味と“インターネット職人”たちの清らかな無名性がその独自の文化を下支えしています。 (具体例を挙げるとすれば、作者くまみね氏の手を離れてさまざまなバリエーションがインターネット職人の手によって生まれ続ける「現場猫」など)

日本には一神教の抑圧がないことも一因となり、民俗や風習にはこのミーム的な要素が深く入り込んでいます。次回は、そういった視点で日本の石の民俗を見直してみたいと思います。

プロフィール・内藤理恵子(ないとうりえこ)
1979年愛知県生まれ。南山大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(宗教思想)。 南山大学宗教文化研究所非常勤研究員。日本ペンクラブ会員。執筆ジャンルの幅は哲学、文学、空海の思想、石の文化など多岐にわたる。著書に『正しい答えのない世界を生きるための 「死」の文学入門』(日本実業出版社)など。