日本の信仰にはユニークなものが多々あります。
石の文化(民俗や信仰)はまさにその象徴でしょう。岩石そのものへの信仰はもちろん、石に仏さまの形を刻んだ石仏もそうです。日本における石仏への信仰は、神道や仏教の陰に隠れ、とるに足りない俗信の類とみなされがちですが、庶民の心を支え続けてきたといえます。そこには神道・仏教とは別次元の祈りの世界があるのです。石仏は既成の宗教ではカバーできない人々の不安を受ける「受け皿」となり、またカウンターカルチャーとしても機能してきたといえるでしょう。しかし現在では、一部の高齢者向けの健康への願い(巣鴨「とげぬき地蔵」など)は別として、おおよその石仏文化(講や和讃なども)は失われてしまったといっても過言ではありません。しかし、それらを知るための手がかりはまだまだ残されています。この連載は、石の文化に関する私のフィールドワークの記録をベースに、それらを紹介するものです。
石に関する調査を私は2005年から始めました。きっかけは修士論文(現代日本の葬送研究)の執筆でした。当時のテーマの葬送研究の延長線上に墓石があった、という感じです。その時には石の魅力や独自の文化を深く掘り下げるまでには思いが至りませんでした。
博士課程ではペットの墓石なども調査対象に入れ、博士課程修了後にようやく墓石から石の文化全般を探究するように。特にこの5年ほどは「石の文化全般」や「石そのもの」にフォーカスしています。
当連載のタイトル「石をめぐる冒険」ですが、お気づきかもしれませんが、村上春樹の長編小説『羊をめぐる冒険』のパロディになっています。あの小説の主人公が謎の「羊」を探しているうちに不思議な体験をしたように、私も日本の石の文化を追いかけているうちに、教科書には載っていないような面白い話を聞いたり、不思議な体験をしたりしました。この連載では、石の文化を巡る、些細だけれども面白いネタも盛り込んで行くつもりです。まずは「庚申塔」から日本の石の文化に斬り込んでいこうと思います。
「庚申塔」と聞いて、ハテ?と首を傾げる人は多いでしょう。もしくは、聞いたことはあるけれど、その実態を明確に説明できる人はほとんどいないと思います。それもそのはず、いまだに謎のベールに包まれており、その起源すら論者によって異なるからです。しかしユニークな信仰対象であることには間違いなく、興味はつきません。
私が庚申塔を知ったのは、偶然の出合いでした。2016年8月、東京都府中市に有名なペット霊園があると聞きつけ、その調査のために、府中駅(東口)に降り立ったときでした。その日はとても暑く、駅前にあったコンビニで、まずは涼もうと思いました。すると、コンビニの前に奇妙な石塔が建っているのです。コンビニという現代的なものの前にこのような石塔(写真1)が建っているのですから、どうしても目につきますし、自然と引き込まれました。
これは何だろう? と思うと同時に、「庚申塔」という文字には見覚えがありました。というのも、以前に静岡県藤枝市の寺院の境内で「庚申塔」と呼ばれるものを見た記憶があったからです(写真3)。しかし、両者は形も彫られているものも全体的な印象も違います。
添えられている解説の看板に書かれていた庚申信仰の起源も違うものでした。庚申信仰について、前者(府中市)の看板では「道教の教え」、後者(藤枝市)の看板では「道教、仏教、古神道」と明示してあります。「庚申信仰」「庚申塔」とは果たして何なのか。「三尸の虫」とは何なのか? 俄然興味がわいてきました。
それから二年後のことです。今度は、護国寺(東京都文京区)の境内で、前述した庚申塔とは、あきらかに違ったタイプの庚申塔に出合いました。私が護国寺で見た庚申塔は(写真4)(写真5)のようなものです。写真4の庚申塔には青面金剛という神さまが彫られており、そのどこかしらパンクな造形にも惹かれるものがありました。青面金剛の足下の三猿、写真5の庚申塔では主役級の扱いとなっている「猿」の存在も気になりました。
青面金剛はどこから来たのか?
どうして庚申信仰と結びついているのか?
そして庚申信仰に「三猿」が関わっている理由とはなにか?
こうなると五月雨式に気になることがわいてきて、ますます好奇心がくすぐられるのでした。こうして、私にとって庚申塔は大きな謎であると共に、自身の追求したいテーマの一つとなったのです。
<次回に続く>