先日、父のお墓参りに行ってきた。
父と言っても、私には父が二人いる。血の繋がった父と、母が再婚した父だ。
これがもうどちらも癖が強い人で、わが母親ながら母はいったいどんな男性の趣味をしているのかと思う。
血の繋がった父は、私が十代なかばで亡くなっている。今回は、母がその後再婚した、三年前に亡くなった父のお墓参りの話だ。
「私は冬が嫌いだから、○✕(父)の作るお鍋を食べることだけが冬の楽しみかなあ」
父が亡くなる年の、まだ残暑といえる九月に、早々と母はそんなことを言っていた。
そして、父は九月のある日の朝に亡くなった。前日の夜まで普通に会話していた、本当に突然の死だった。
父のお墓は、不幸中の幸いで、家から近くにある。
だから、わりと頻繁にお墓参りに行っているのだが、そのたびに、なんでここに父がいないのだろう? という不思議な疑問を抱く。
故人のことを思い、お墓参りで泣いている。そんな父の姿が、はっきりと思い浮かぶのだ。
前回のお墓参りは、わが子の入学式で、ランドセルを背負ったわが子の姿を見せにいった。
今回は、父が亡くなって三年目の命日に近い日のお墓参り。
やはり、父のお墓参りに来ているのに、父がここにいないことが、とても不思議だった。それは、まだ自分自身が、父の死を受け入れられていないからなのかもしれない。
――次にお墓参りに行くときは、あなたの死を受け入れられていますように。
そんなことを父に願い、私は今日も生きていく。