> 石をめぐる冒険
第十一回

ゲームの中の葬送と石材

内藤理恵子

ゲームの中で描かれる「死」が変わった

私がテレビゲームを始めた1990年代、テレビゲームで描かれる「死」は、おおよそゲームを「リセット」する行為とセットになっていました。 バトルに負けてキャラクターが死んでも、すぐに教会で復活するというパターンもありました。 当時、死の描き方があまりにも軽すぎることはテレビゲーム批判の一因になっていたように思います。 しかし、その中で『ファイヤーエンブレム』(1990年、仲間の死亡は取り返しがつかない)や『俺の屍を越えてゆけ』(1999年、子孫が遺志を継いでいく)など、先行作品のアンチテーゼとしての作品も生まれたのです。 『真・女神転生』では、三途の川のシーンがゲームオーバー演出に取り入れられていますし、真・女神転生シリーズの外伝 『アバタールチューナー2』(2004年)は輪廻転生を最終的な救いとして描いていたりもしました。

『サイバーパンク2077』〜キャラクターの葬送を何回も擬似体験するゲーム〜

 テレビゲームの文化が成熟するにつれてゲームの中の死の描かれ方もバリエーションが増えていきました。 たとえば『サイバーパンク2077』(2020年・写真1)では、キャラクターたちのさまざまな死が丁寧に描かれています。 まず、主人公(プレイヤーの分身)の相棒ともいえる大切なキャラクターが、冒頭で死んでしまうこと。 これだけなら過去のゲームにもありえた話ですが、このゲームの場合、死んだ仲間の母親と連絡を取り合い、主人公(プレイヤーの分身)は葬儀に参列することになります。 この葬儀の描き方にリアリティがあり、ほぼ実際の葬儀への参列の疑似体験に近いです。 主人公は弔辞を読みますし、葬儀の後、バーで他の参列者たちと、生前の故人について語り合います。 他にもこのゲームでは、何パターンかの葬送を擬似体験できます。ノーマッドと呼ばれる仲間の葬送では岩場に作られた簡易的な霊園が登場し、そこで独自の民間儀礼のようなものが行われている様子が見られます。 マルチエンディングのひとつとして、コインロッカー式の納骨堂へのお墓参りがエンディングとなる場合もあるのです。また、プレイヤーの選択次第では、主人公自身が「自身の肉体的な死を体験する」という珍しいパターンもあったりします。

(写真1)『サイバーパンク2077』(2020年)

(写真1)『サイバーパンク2077』(2020年)

『龍が如く』シリーズ〜石文化へのこだわりがすごい〜

 お墓参りの文化、石仏の文化へのこだわりが随所に見られるのはSEGAのゲーム『龍が如く』シリーズ(2005年〜)。特に、『龍が如く3』は、オープニングお墓参りのシーンから始まります。龍が如く2と龍が如く3のストーリーの重要なつなぎ目として「お墓参り」が出てくるのです。

 『龍が如く7』では、墓石にも個性が出ていて、本小松石らしき石材で作られた墓石を主人公が熱心に磨くシーンが非常に印象的です。

 本シリーズの石仏へのこだわりも、驚くべきものです。『龍が如く5』では、マタギの擬似体験ができるフィールドがあり、そこには石仏が並んでいます。さらには都市部で信仰されている石仏も登場。 『龍が如く5』『龍が如くゼロ』では、大阪をモデルにしたオープンワールドのフィールドに、お不動さんの大きな石仏が登場します。 苔むした独特の風合いが石仏ファンの心をつかみます。

 さらに『龍が如く 維新』では、石仏にお参りすることで「セーブ」をしたり徳を積んだりすることもできます。 背景となっている路傍の石仏も、よくよく見ると如意輪観音が見受けられ描写の細かさに舌を巻きます。

 また、物語のクライマックスに関わる重要なアイテムとして石の文化(句碑)が登場する作品が『龍が如く6』(写真2)。 ここでは尾道の石の句碑が暗号を解く鍵になっています。 当連載第7回(https://reien.top/article/religious-culture/2021-07/kosinto-7.html)で説明した千光寺の巨石がそのままゲーム中に出てきたりもします!

(写真2)『龍が如く6』

(写真2)『龍が如く6』

ゲーム業界に期待すること

 どのようなジャンルにせよ、プレイヤーの分身や仲間のキャラクターの「死」がゲーム中に出てくることはよくあることです。ファーストパーソンシューティングにせよ、アクションにせよ、 オープンワールドにせよ、RPGにせよ、敵と闘うゲームのゲームオーバーは、そのままキャラクターやプレイヤーの分身の死を意味することがあります。 ゲームの多くは、繰り返しプレイしますから、そこに描かれる死生観は、そのままプレイヤー自身の死生観への刷り込みへとつながりかねません。

 上記に挙げたようなゲームたちは、どれも架空のゲームキャラを描いているとはいえ、そのキャラの「死」と葬送をきっちりと描いている作品です。 私は『サイバーパンク2077』で最良の相棒であったキャラクター(ジャッキー)が命を落とすシーンと、ジャッキーの母親が葬儀で悲しむ姿を見るのが辛く、どうにかしてそれを回避するルートがないものかと探してみました。 しかし、何度探してもそれはやはり無いのです。つまりこのゲームは人間の「生」のかけがえのなさをなぞるものなのでした。

 テレビゲームというと「攻撃性」や「社会性の欠如」というイメージで語られることもありますが、いま人気のゲームの中には、葬儀やお墓参りなど、現実社会で失われつつある葬送文化をきっちり描く作品もあるということをぜひ知って欲しいと思います。

 
プロフィール・内藤理恵子(ないとうりえこ)
1979年愛知県生まれ。南山大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(宗教思想)。 南山大学宗教文化研究所非常勤研究員。日本ペンクラブ会員。執筆ジャンルの幅は哲学、文学、空海の思想、石の文化など多岐にわたる。著書に『正しい答えのない世界を生きるための 「死」の文学入門』(日本実業出版社)など。