石そのものがストレートに「神仏そのもの」として信仰対象になっている事例もあります。たとえば、(写真3)は石そのものを「お不動様」として信仰しているのです。
このように、日本における巨石信仰には多くのバリエーションがあります。中には石の形が動物の形に似ているという理由で、信仰対象になっているものがあります。蛙に似ているから「蛙石」と呼ばれるものもありますし、動物に見立てられる事例として特に多いのは牛関連の石。「牛石」と呼ばれるものが全国各地に存在します。(写真4)
動物に見立てられる巨石の中でも、珍しいのは犬石です(写真5)。
私が犬石を見つけたのは、島根県の来待ストーンミュージアムを訪ねたことがきっかけでした。ミュージアムの近くの石宮神社に変わった巨石信仰があると聞き、そこから足を伸ばしたのです。
この事例が面白いのは、「犬に似ている石」(写真5)が、神話(出雲風土記)とリンクしているところです。 大国主命が犬を使って猪狩をしていたところ、両者とも石になり、現在まで残っているという神話ですが、おそらくこれは「石の形状」が先にあり、後から神話が作られたパターンでしょう。たしかに巨石を見ていると、大きな猪とそれを追う犬の顔に見えないこともなく、人のイマジネーションが石とリンクして物語をつむぎだしたことがよくわかる事例です。
これら巨石信仰には、すでに分類の方法があります。
吉川宗明『岩石を信仰していた日本人』(遊タイム出版)では以下の5つに分類されています。
(写真2)の事例のように、この5つのうちのひとつの役割が他の役割に転化することもあります。 また、『岩石を信仰していた日本人』では、この分類を、さらに細分化しています。 たとえば、「媒体」に分類されるものでも、石が神の「依代」となるものと、信仰対象の「台座」であったがゆえに、神聖視されているパターンがあるのです。
この分類に則して「台座」のパターンの具体的な事例を挙げてみてみましょう。広島県尾道市には「巨石の上に宝珠があって海の上を照らした」という「玉の岩伝説」があります。 その巨石(台座)が現在も信仰対象になっているのです。 いまとなっては「伝説の宝珠」はもちろん無いのですが、後に宝珠のレプリカが設置され(写真7)、それが観光名所になり、信仰対象にもなっている、というわけです。 尾道の千光寺山ロープウェーからこの巨石を見ると、宝珠のレプリカが目立ちます。
この巨石の使用目的は「物見台」「星占いの道具」「古墳の工事が中断されたもの」など、さまざまな説があります。中でも、小説家・松本清張はこれを「ゾロアスター教の女神に関する儀礼のための施設である」と推論を立て、相似形の遺跡を探しにイラン南部まで調査旅行をしています(松本清張『ペルセポリスから飛鳥へ』日本放送出版協会)。 松本清張氏の仮説は、小説家としてのイマジネーションと歴史が混ざり合い、独自の世界観を作り上げている点は面白いのですが、正直なところ確証は持てません。
一方、これをダークファンタジー漫画の題材にしたクリエイターもいます。漫画家の諸星大二郎氏は『暗黒神話』(初出1976年)という作品で、この益田岩舟を「古代の天文台」と「タイムカプセル収納庫」を兼ねる存在として登場させています。作品中、この岩舟の一部が扉として開き、そこから中の空洞部分に入ることができるという創作も付与されています(念のため書いておくと、実際には益田岩舟にそのようなものはありません)。
石の文化の面白さとは何なのか? 益田岩舟のような謎の残る石造物にこそ「答えのない答え」があると思います。
石の文化には、石の堅牢さゆえに、石造物として明確な形で残っているのに、関連の文献は残っておらず、「わからないままそこにある」という事例が多数残されています。その「わからなさ」が人を惹きつけてやまないのです。
これは、いま作られている石造物についても同じことが言えます。
たとえば、コロナ禍においてブームともなった「アマビエ」の石像を設置する事例が全国各地に見られますが、これも1000年後には「謎のソバージュヘアの鳥のような石造物が各地に建立された事例」として発見され、未来で話題になるかもしれません。 石の文化には過去と現在と未来で壮大なクイズ大会をするような、そんな愉快さが含まれているのです。