澁澤龍彦(1954年〜1987年)は、マルキ・ド・サドの翻訳、創作、評論などさまざまなジャンルで活躍した、知る人ぞ知る作家です。「知る人ぞ知る」としたのは、文学好き、サブカルチャーが好きな人にとっては「超」がつくほどの有名人でありながら、そのようなジャンルに興味のない人にはあまり知られていない人物であるからです。
2年前に出版された彼の伝記(写真1)も500ページを超える辞書のようなヴォリュームですが、その伝記をもってしても全貌を掴めないほど謎めいた人物でもあります。あえていえば、澁澤龍彦の全体像については、この伝記の中にも引用されている笠井叡(フランス文学者)の記述が核心をついていると思います。(以下)
澁澤龍彦氏は、そのような人間が地上に存在すること自体が、ひとつの奇蹟であるかのような雰囲気を、常に周囲の人々にあたえ続けた。いわば、地上的存在ではない天使が、まさに「虚無の夜空に打ち上げられた花火」のような一瞬間だけ、この地上で物質の姿をしているかのように……。(礒崎純一『龍彦親王航海記』に収録された「澁澤龍彦氏の思い出」)
澁澤龍彦は「美少年のような外見」を持ち、さまざまな言語を操る人間離れした天才でもありました。さらには仲間に愛されるチャーミングさも兼ね備えていた、というわけです。澁澤は作品ばかりではなく、その存在自体が一つの作品であるような人物であったといえます。
私の場合は、大学時代にマルキ・ド・サドの翻訳や『快楽主義の哲学』などの背徳的な作品を通じて彼の存在を知りました。しかし、心の底から感服した作品は、彼が書いた「石」についてのエッセイ「石の夢」です。 この作品は、「石」というテーマに潜む蠱惑的な側面を、思わぬ角度から多面的に掘り下げているのです。
ただし、このエッセイは、整理された内容であるとはいえません。 引用されている文献も古今東西のマニアックなものが多く、それらの情報が縦横無尽に錯綜します。 そこが、かえって天才・澁澤の脳のシナプスの繋がりをそのまま転写しているような臨場感があるのですが、 決して読みやすい文章というわけではないのです。そこで、今回は、澁澤龍彦のこの「石」のエッセイに出てくる情報を整理してみようと思います。
このエッセイを読み解くには、まずは、登場する人物を整理することが必要かと思います。 しかし、澁澤が挙げる人物名は、教科書には出てこないようなマニアックな人物がほとんどで、人物名とその概要をつかむだけでも、これが大変な作業なのです。しかも、それがどのような人物であるのか、本文中にほとんど説明がないため、前提になる知識がないと、まるで暗号の羅列にしか見えません。
そこで、「石の夢」に登場する人物をリスト化し、年代順に並べなおし、それぞれの大まかなプロフィールを作ってみました。(以下)
エッセイ「石の夢」は、澁澤が石を題材に、上記の人たちの作品を挙げながら、次々とイメージを連想した博物誌のようなものです。ともすればその博覧強記に圧倒され、私たち読者は主題をつかみ損ねてしまいがちです。
実のところ、「石の夢」が伝えようとするメッセージはごくシンプルなものです。 彼の「石」をテーマにした連想ゲームのような流れは、最終的には「ある特定の石のヴィジョン」に収斂されていきます。 上記のリストに挙げられた情報群は、その「流れ」を作るための布石に過ぎません。
このエッセイにおいて澁澤がしようとしていることは、石に関する、「とあるヴィジョン」をたまらなく美しいと感じた彼が、 読者をその美しい世界の次元になんとか引っ張り上げようとしているのです。たとえばルネサンス期の石のイメージ(当時は石や鉱物が生きているというイメージで語られていた)を挙げているのも、その前段として読んだほうがわかりやすいでしょう。澁澤の知識量があまりに圧巻で、「登ることができない梯子」のようであり、私たちを困惑させてしまうのですが……。
では、澁澤が愛した石のヴィジョンとは何か? 一言でいえば「石の中の空洞」への偏愛でした。そのイメージはロジェ・カイヨワが愛した「内部が空洞になり、そこに水が閉じ込められた瑠璃」と、柳田國男の記述(長崎の魚石)の両者に見られます。
「気永に周りから磨き上げて、水から一分といふところまでで留めると、水の光が中から透きとほつて、二つの金魚のその間に遊びまはる姿は、又とこの世にない美しさ」であるという、この物語の中心となっている美しい球体のイメージは、内部に空洞をもった石の魅力的なイメージと、ぴったり重なり合う性質のものではあるまいか。(澁澤龍彦「石の夢」『胡桃の中の世界』青土社)
国境を超えて、そのヴィジョンに小宇宙を感じたものたちがいたことを、澁澤は、いわば“発見”したのだといえます。そして澁澤自身も、そのイメージからフェティシズムのような、感覚を得ていたようです。彼は石の中の空洞に閉じ込められた水を「塔に閉じ込められた姫君」と呼びました。 つまり、澁澤は変態的なまでに「石の中の空洞」に惹かれており、その感覚を言語化しようとした挑戦作がエッセイ「石の夢」なのです。
たしかに、石の中の空洞にできた小さな空間は永遠に封印された小宇宙の箱庭のようなものかもしれません。 タイムカプセルのようでもあり、開けたとたんにその神聖が失われてしまう不可触性を持っています。 そんな箱庭にそっと入り込み、無限に夢を見ているような感覚を味わいたいという気持ちが澁澤のエッセイからは伝わってきます。 何者にも侵食されない、その美しい世界を「石の内側」に見出した澁澤が、古い棚から石を取り出し「これ、たまらなくいいでしょ?」とそれを見せながら語りかけてくる……そのような情景を思い浮かべながら「石の夢」を読むと、ヴィジョンを通じて天才・澁澤と時空を超えて繋がった感覚を持つことができると思います。