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「板碑」とは鎌倉時代から各所に建てられるようになった石造物です。全国各地にありますが、特に関東によく見られます。
今回は、「車で走ると20分に1基は板碑に遭遇する」という北関東のとある地域にお住まいの、 雑誌「武士ライフ」編集長・越谷公方氏に写真をご提供いただき、板碑を特集したいと思います。 まずは板碑の写真をご覧ください!
写真は時系列に並べてありますから、彫ってあるものを順に確認してみましょう。写真1、写真2は蓮台の有無の違いがあります。小沢国平『修訂 板碑入門』によれば蓮台のデザインは四種に分けられ、デザインによってある程度は鎌倉・南北朝・室町の区別がつくようです。写真3、写真4の変化は、板碑のサイズが大きくなっていることです。写真5になると上部のラインの彫りが浅くなり、種字が絵に変わっています。
板碑は一応の「型」があるものの、時代が下るにつれて、また建立者の信仰によって彫ってあるものが変化しているのです。建てる理由もさまざまで、庚申信仰(https://reien.top/article/religious-culture/2021-01/kosinto-1.html)と習合したものもあります。 「板碑」は基本的には石の卒塔婆ですが、さまざまな民俗、信仰の文化のレイヤーがそこに重ねられた多層的な石造物でもあるのです。
先述の通り「板碑」はそもそも「石卒塔婆」が基本的な役割として挙げられます。供養のために卒塔婆を建てる民俗があることは、みなさんご存知の通りです。木製の卒塔婆の耐久性が芳しくないため、石製の卒塔婆の需要が生まれてくることは自然なことでしょう。死者の供養ならともかく、「逆修」(生きている者が自身の供養をあらかじめしておくこと。いつ討ち死にするかわからない武士にとって必要なこと)のニーズがあったわけですから、木はすぐに腐ってしまうこともあり、石のほうが都合がよいのです。加えて、板碑向きの石材が産出されたタイミングも相まって、板碑文化が出現したのです。(参考:小沢国平『修訂 板碑入門』国書刊行会)
異説もあります。たとえば、日下朝一郎『石佛入門』(熊谷市郷土文化会)では「五輪塔の水輪を長くしたもの」だという説を挙げています。
たしかに角柱型足長型五輪塔は板碑の姿にかなり似ていると思います。ただし足長型のものは水輪ではなく地輪を長くしたものですから五輪塔起源説は賛否あるかと思います。
このように、その始まりに諸説ある板碑ですが、さまざまな役割を担い、独自性を増していきます。死者の追善供養はもちろんのこと、逆修、他の信仰との習合、「講」の人たちのコミュニティの結束のため、など役割が増えていったというわけです。
刻まれる信仰の対象(種字や仏の姿)は、宗派によっては独自のモチーフがありますが、当時は阿弥陀への信仰が大流行していたので阿弥陀モチーフが中心になってはいます。また、建立する側から見れば、他の民俗と習合していることからしても、宗派側の都合に合わせて板碑を建てるというよりも、もっと自由な信仰表現であったことがうかがえます。
現在、日本でメジャーなお墓(和型の代々墓)は「儒教の位牌」の考え方がベースになっていて、板碑とは起源と異とするものです。歴史もそれほど深くありません。人気漫画『鬼滅の刃』では「土葬+置き石」から「火葬+和型の代々墓」への切り替えが描かれていますが、史実からしても明治時代から大正時代(『鬼滅の刃』の舞台になった時代)にその転換期があったと見て間違いありません。
とはいえ現在の和型にもグラデーションがあって、先祖の魂の依代という役割の他に、信仰表明の役割も兼ねているものも見られます。 特に、浄土真宗はお墓を魂の依代とは見なさないので儒教的な意味をそこに見出すことはできません。ですから、かつて板碑が担っていた役割を、仮に「卒塔婆」と「信仰表現」に分けるのであれば、 「信仰表現」という意味では一部の和型とその役割がリンクしていると考えてよいでしょう。 木製の卒塔婆による供養は、現在では、人間はもちろんのことペット供養にも応用されています。
一方で、近年では横長のテレビのような形の墓標に、それぞれの思いや信仰やメッセージを刻んだものが急激に増えています。それらは総称として「洋墓」と呼ばれます。 とはいえ、文字通り「欧米の墓」の考え方がそのまま入っているとは思えないのです。
というのも、海外のお墓は、日本国内であっても、外国人墓地などでさまざまな宗教のお墓を見ることができますが、それらは個人単位の墓標であって、日本の洋墓が必ずしもそうではないからです。
では日本の洋墓はどのように機能しているのか? もちろん代々墓として機能しているものもあり、夫婦墓や個人の墓などバリエーションがありますし、彫られているモチーフもさまざま。一義的に決めてしまわないほうが良いでしょう。
私なりに「洋墓」の機能をおおまかに整理してみると以下の3つに分けられます。
まず、「記念碑」としての役割。故人が好きなスポーツのモチーフ、バイクなど記念になるものを彫るということです。ちなみに「酒」という一文字が彫ってあるお墓を見たこともあります。イサムノグチが愛した伊達冠石のお墓など、芸術性が高い洋墓の場合は、アートと墓標を兼ねて、それが故人を表現するという意味合いも出てきます。
次に、「メッセージボード」としての役割。「ありがとう」など、お墓参りをしてくれる人たちへのメッセージを彫るパターンはよくありますが、「あわててくるなよ」「核廃絶」というメッセージが刻まれていたお墓も見たことがあります。これは家族・親族・知人の範囲を超えて後の世代への強いメッセージとして機能を果たしていると思われます。故人が震える手で書いた絶筆をそのまま彫ったものもありました。
むろん「信仰表現」としての洋墓もあり、そこにこそ板碑の役割に通底するものが継承されていると思います。
私は板碑を、遺物ではなく、現在に繋がる先人たちの「生きた信仰の証」とも見ています。板碑に刻まれた信仰は、現代の私たちが理解することで、また生きてくるものだと思います。
ここで想像してみてください。もし、ハリーポッターの世界に板碑が存在したのであれば、かつて魔法魔術学校ホグワーツにいた「古い魔法使いたち」は、そこに秘密の魔法を彫りつけておいて、後人たちにそれを伝えるでしょう。板碑は「講」と呼ばれる同志のためのシンボルでもありましたから、グリフィンドールやスリザリンなどの共同体単位で建てることだってあるかもしれません。そして、それが後進のハリーやロンやハーマイオニーたちの力になるような、マジカルなアイテムとして存在することでしょう。
板碑とは、時空を超えて信仰を伝えるものでもあり、また現在のお墓文化にもつながる重要な存在だと考えます。