> 石をめぐる冒険

第四回

『海辺のカフカ』に出てくる
「石」と「空海」

内藤理恵子 

『海辺のカフカ』に出てくる「石」と「空海」

前回は村上春樹『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』(1985年)へのオマージュ( https://reien.top/article/religious-culture/2021-03/kosinto-3.html )をタイトルにしました。

今回は村上作品に出てくる「石」と「空海」の関係についてです。

村上春樹の小説『海辺のカフカ』(2002年)には、物語のカギとなる不思議な「石」(古びた丸い石)が登場します。 この石が異次元への扉を開く役割を担い、2つのストーリーが並行して展開する斬新な構成です。

舞台は四国。その石をめぐり「不思議なおじいさん(ナカタ)とトラック運転手(ホシノ)が石を探す旅路」と、 「トラウマを抱えたカフカ少年の旅路」のふたつが物語として展開します。それらの物語が「石」でつながります。

この「石」の性質は、『日本書紀』『万葉集』などにも登場する「おもかる石」のようにも思われますが、 読後に気にかかったのは、どことなく石が「空海の存在」に紐づけられていることです。

しかし、匂わせているわりには、最後までその伏線が回収されていない、 というところも引っかかりました。空海の存在は宙ぶらりんのまま物語は終わるのです。

先述の「匂わせている」というのは、以下の三点です。

まず、劇中で、「石について調べよう」としたナカタとホシノのコンビが、市立図書館のリファレンス係に石についてたずねたとき、手渡された本に『四国における弘法大師伝説』があったこと。

次に、ヒロインの名前が「佐伯さん」(空海の出家前の名前は佐伯眞魚)であること。

第三に、ナカタが石を手に入れたとたん、雷鳴が轟いたという点です。よく知られている「空海の肖像画」が手に持っている武器のようなものは、もともとは雷の神様の持ち物ですから、ここにも空海の存在が見え隠れします。

謎が謎のまま投げっぱなしで終わるところも、見方によっては魅力ですが、 それにしても、この話には、俗にいう “モトネタ” になるような空海の伝説が隠されているのではないか? そんなことも感じたわけです。

 

偶然、答えがわかる

2021年の春、知人である松島弘氏が転職し、土佐れいほく観光協議会事務局長になったとの知らせを受けました。その松島氏が転職した先(高知県長岡郡大豊町)には、「あまり聞いたことのない空海の伝承」があると知らせてくれました。

そこで、私は『海辺のカフカ』の疑問を解くカギがそこにあるのではないか、とピンときました。

大豊町には「梶が森」という深い森があり、そこにある御影堂には空海の「剣」(空海がそこに剣をおさめたという伝承)と「石」の伝説が残されているのです。なお、今回、梶が森と、石と剣がおさめられているという空海ゆかりの御影堂の写真は、松島弘氏のご友人の梅田恵氏からご提供いただきました。感謝申し上げます。

(写真1)梶が森(写真提供・梅田恵)

(写真1)梶が森(写真提供・梅田恵)
(写真2)梶が森(写真提供・梅田恵)

(写真2)梶が森(写真提供・梅田恵)
(写真3)御影堂(写真提供・梅田恵)

(写真3)御影堂(写真提供・梅田恵)
(写真4)御影堂(写真提供・梅田恵)

(写真4)御影堂(写真提供・梅田恵)

剣と石? なんだかドラクエみたい、と思われるかもしれませんが、 まさに、ドラクエを彷彿とさせるエピソードが大豊町には残されていました。 町史には「往古から口碑(筆者注:口碑とは伝説のこと)に、地名に、伝承が多く、単なる空説でもないようである」と、その真偽について記されています。 以下は大豊町史に記されていた梶が森に関するエピソードを、私が簡潔にリライトしたものです。

―空海と石のエピソード その1―

梶が森には、むかし魔物が出ました。空海がまだ若く、神童と呼ばれていた頃に、山の中に虚空蔵菩薩が出現して、空海(当時はまだ空海とは名乗っていませんでしたが、ここではわかりやすくそう呼びます)に宝の珠を授けてくれました。 菩薩は「末永くこの嶺にこの珠を保つときは、のちに法灯がかがやく」と預言しました。

また、この森の洞窟で、17日間もの間、空海は虚空蔵菩薩を念じ、悪魔を降伏させようとしました。 その結果、魔物は山を守護する善神になったといいます。 空海が魔物を鎮めるためにつかった「石」が、梶が森の御影堂におさめられていると言い伝えられています。 この石には空海が修法を記し、「大師御手判の石」といわれるそうです。(参考:大豊町町史)

要は、梶が森には魔物が棲んでいたが、空海が石を使って魔物を調伏し、御影堂におさめてある、ということになります。

では、実際にその石がまだそこにあるのか? 

これは一般の参拝客は拝殿まで上がれないため、たしかめようがありません。 しかし、もし、仮にそこから移動しているのであれば、空海が魔物を鎮めた石は誰の手に渡っているのでしょうか。そこに小説の創作の余地があると思います。

『海辺のカフカ』が、空海のこの石の伝承を反映しているのであれば、 小説内の意味不明なシーン……石をひっくり返すと、ナカタの遺体から「妖怪のようなもの」が這い出てくる奇妙な描写のエピソード……にも、それなりに「謂れ」のようなものがあることがわかります。 空海が石を使って魔物を鎮めたとして、それをひっくり返せば、魔物が表に出てくる物語を紡ぐことができるからです。 つまり『海辺のカフカ』は、空海による魔物に対する石の封印を解いてしまった現代人たちの冒険譚、とも再解釈できるのです。

空海と石の伝説は京都にもある

ここで思い出したのは、「空海が魔物を鎮めるために石を使った」という伝承は、四国以外にも各地にある、ということです。

空海の石に関する伝説には、「石を使って魔物を調伏する」「空海が石を彫り、それが奇跡を起こす」というパターンが見られます。以下は京都府下京区にある不動明王院に伝わる空海の石の伝説です。

―空海と石のエピソード その2―

823年のこと、空海が嵯峨天皇から東寺を与えられたので、空海は東寺を守護する方法を考えました。そこで、東寺から見て鬼門にあたる場所にひとつの霊験あらたかな石を見つけて、そこにお不動さまを彫り、それを石の棺におさめてさらに地中の井戸深く安置しました。

899年には、宇多天皇が上皇となった時に、この井戸を封じ、霊石不動明王としました。

現在も、空海が彫った石は井戸の底に封じられたままになっているそうです。

(参考:不動明王院公式サイト。寺院の公式サイトに掲載されているエピソードを筆者が簡潔にリライトしています)

私たちが空海ゆかりの寺としてよく知っているのは東寺ですが、その東寺を鬼から守っている「石」が、現在も井戸に封印されたままであることはあまり知られていません。

またまだある!空海の石伝説

千葉県の鋸山(千葉県安房郡)の五百羅漢の石仏を訪ねた時には、「空海が修行中に、大黒天を一夜で彫った伝説」と、「それがおさめられている御堂」の存在を知りました。それは開運を招く秘仏として現在も信仰されています。(写真5・写真6)

また、川崎一洋『四国「弘法大師の霊跡」巡り』(セルバ出版)には、空海が自らの姿を石に鎌で彫りつけ、疫病で兄弟を亡くした少年に与えたところ、すぐに疫病がおさまったという愛媛県松山市に伝わる伝説が掲載されています。

これらの伝説の中には後世の人たちがいくらか「盛って」伝えたものもあると思います。たとえば、栃木県の大谷寺(写真7)にある4メートルもの磨崖仏は、空海の作とされていますが、実際にはアフガニスタンの僧侶が彫ったものだと明らかにされています(参考・大谷寺公式サイト)。

しかし、梶が森の石にせよ、霊石不動にせよ、鋸山の事例にせよ、共通していえることは、空海は石を使った祈祷ができたこと、そしておそらく何らかの「石彫りの技術」を持っていただろう、と推測されることです。

アナログな手法で石を彫るということは、実際にチャレンジしてみると非常に難しく、石彫りを見ていると、そこに、どこか神仏の力を感じるところがあります。人々は空海というどこか人間離れしたパワーを持つ存在に神仏を重ね合わせ、また石彫りの技術にもそのような力を感じ、だからこそ両者を結び付けずにはいられないのだと思います。

(写真5・千葉県 鋸山の大黒堂 筆者撮影)

(写真5・千葉県 鋸山の大黒堂 筆者撮影)
(写真6・大黒堂の看板 筆者撮影)

(写真6・大黒堂の看板 筆者撮影)
(写真7・大谷寺 筆者撮影)

(写真7・大谷寺 筆者撮影)
プロフィール・内藤理恵子(ないとうりえこ)
1979年愛知県生まれ。南山大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(宗教思想)。 南山大学宗教文化研究所非常勤研究員。日本ペンクラブ会員。執筆ジャンルの幅は哲学、文学、空海の思想、石の文化など多岐にわたる。著書に『正しい答えのない世界を生きるための 「死」の文学入門』(日本実業出版社)など。